プリンス・エドワード島 ⑤最終編 島巡り後篇

2015.08.30 (Sun)
プリンス・エドワード島は、東京都の3倍の大きさという島ながら、自然志向の私には
行きたい所がたくさんあった。
アシがないので思うようにいかない分、時間は1箇月あったので、ほぼひと回りできた。

フレンチリバー
フレンチ・リバー
島の北西部にある小さな部落。 おとぎ話に出てきそうな可愛らしさに、
観光客が車を止めて立ち止まるので、
資産家が私有地を提供して見晴らし台を作ってくれた。

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ケープ・ベア灯台
1912年、沈没したタイタニック号から最初に信号を受信した灯台。
島にはこの他にもいくつもの灯台があって、それぞれにユニークなので、
現在は「灯台巡りツアー」があるらしい。

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キャベン・デッシュの海辺。
アンの故郷には何度も行った。この日は足を伸ばして海辺へ行ってみた。
白い小花が咲く草原を歩いていると、突如断崖になった。
赤土が剥き出しになっていて、その先に青い海・「セント・ローレンス湾」が広がっていた。

ジェニーの送別会

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同宿のジェニー(台湾出身の留学生)が卒業して、一年振りに帰国することになった。
年の差を越えて親しくお付き合いした。猛勉強家で遊びに行くことは滅多になかったが。

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ホスト手作りのパーティ。   
デザートは私が、「杏仁豆腐」を作った。 「ママの味・・・」と小声でいって涙ぐんでいた。

ミニクルージング

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シャーロットタウンの港から、クルージング船が出ている。
前回は早終いだといわれて乗れなかった。
この日は、乗客が集まるまで待っていたが、だれも来ない。
「船を出すよ。さあ乗って。」と船長さん。  「えぇ? 一人なのに?」
「大切なお客さん、2回も断れないよ。」
というわけで、奥さんが操縦して船長さんはガイドに専念、ということで出発。

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この桟橋から出港。

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民家も倉庫も可愛らしい。
ロブスターや牡蠣やムール貝を養殖している。 潮干狩りする人もいる。

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乗客1人に乗員2人、大赤字だったでしょうね。

7月1日  建国記念日  Canada Day
1867年7月1日、カナダ連邦が自治を開始した。
国民の祝日に制定され、カナダ全土で祝賀行事が開催された。

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パレード    
首都シャーロットタウンの目抜き通りを行進。 
 州旗を掲げた人たちが通ると、大きな歓声があがった。

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祝賀式典
たまたま、建国記念日に居合わせて、なんと幸運なことか。

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市民参加の祝賀ヨットレース

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昔の帆船が、お祝いメッセージの旗を揚げて。

帰国を前に、私の送別会。

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手料理を作って、お別れ会をしてくれた。
毎日、絶妙なサポートで、快適に楽しく過ごすことができた。いつまでもここにいたい。
この気持ちは一生忘れないと話しているうちに、涙が溢れてしまった。

ゆめ子は、きれい好きだし、几帳面で時間が正確だし、明るく社交的だし、
お手伝いもよくしてくれたし。優等生よ。
いつでも歓迎。 一旦帰国して、また帰ってくればいいじゃないの。

こういわれて、ますます涙腺がゆるみ、なにもいえなくなってしまった。
感謝を込めて、丁寧にお礼とお別れの気持ちを伝えたいと思っていたのに。

1998年7月10日 帰国の日
とうとう、プリンス・エドワード島を離れる時が来た。

「この次は、〖Confederation Bridge〗を渡って大陸からいらっしゃい。待っているから。」

遊覧飛行のような小さなプロペラ機は、あっという間に離陸し、
プリンス・エドワード島は、みるみるうちに遠くへ行ってしまった。 
                                              
                          

実は、一カ月後カナダへ行きます。
2015年10月1日~10月20日まで、メイプル街道を
トロントからナイアガラまで、紅葉見物に行きます。
自由にのんびりしたいので、一人旅です。
このことについては、後ほど書きます。




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プリンス・エドワード島 ④島巡り前篇

2015.08.24 (Mon)
プリンスエドワード島の見どころは、「赤毛のアン」関連以外にもたくさんある。
どこも手つかずの自然があふれていて、有名観光地以外は人工物はほとんどなく、
人影さえまばら。
交通の便が悪いので、自家用車かレンタカーがないと簡単には行けない所ばかり。
ホストファミリーやそのお知り合い、ご近所さん、宿の方、行きずりの人々のご厚意で
なんとか行くことができた。
17年も経った現在はもっと便利になっているかしら。

この日もホストが急に「見せたいものがある」といって、車で出発した。

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典型的な郊外への道。(パンフレットからの借用写真)
野生のルピナスが、野原一面に咲いている。
道は未舗装。信号も標識も対向車もない。

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突然現れた光景。「あれなに?橋なの?」

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「そう橋よ。〖Confederation Bridge〗よ。
一年前に完成したの。(1997年5月31日開通)」
「わが島とニュー・ブラズウィック州を結ぶ橋ができたのよ。」
全長・12.9km 通過に時速80kmの車で10分かかる。
車以外通行禁止。橋の途中の停車は厳禁。自転車と人は2時間おきのシャトルバスで。

興奮口調で説明するマギー。
「ゆめ子、感動したでしょ! 世界一素晴らしいわ。」
「日本も島国だけど、大陸と結ぶ橋はどうなっているの?」

・・・・・(あのね、日本は多島国だから、島を結ぶ橋はたくさんあるわ。
でも大陸と日本を結ぶ橋については、まだ計画さえないのよ)・・・・
さてと、このことをどう伝えるかと考えていると、
ノエルが「マギー、ゆめ子は感動のあまり声も出ないんだよ。」と。

カナダにとって、とりわけプリン・スエドワード島民にとって、この橋の完成がどんなに
嬉しく誇らしいことかがよくわかた。

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橋見物の帰り道、「オーウェル・コーナー歴史村」まで送ってもらった。

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1890年代の建築様式を用いた建物と、生活用具の展示というけれど、
日本の明治20年代。さして目を見張るようなものもなくて期待はずれだった。

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ポイント・プリム灯台
半島の先端に立つ可愛いらしい灯台。1845年築。この島最古の灯台。
青い海と空、360度のパノラマ。これぞプリンス・エドワード島。気持ちが広がる。
ここへのアクセスについては記憶がない。

サマーサイド
島内第2の街。

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「市役所」 もとは銀行だった。

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ある日、「乗馬ツアー」に参加したらと勧められた。
乗馬の経験はないしと渋ると、「大丈夫、プロがその人にあう馬を選んでくれるから。」

ダメモトでまず試乗。「フレックス・素直でおとなしい青年馬」に乗って、
初めに手綱さばきを習った。「Bery good]でそのまま出発。
ブルネンプロビンス・パークをのんびりとひと回りした。(駆け足は習っていなかった。)
1時間ぐらいかかったと思う。
道は一本で、平らで、視界はいいし、私のいうとおりに歩いてくれて、ストもしなかったし。
最高の馬に乗せてもらえてよかった。

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ある土曜日、シャーロットタウンの公園に、臨時遊園地ができた。
ビーチ近くのルピナスが咲く公園に、所狭しとカラフルな遊具が置かれて、
みんなはしゃいで大賑わい。

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私も、アイスやホップコーンを食べたり、トランポリンをやったり。
なんだかカナダ人になったような気がしてきた。

こうして、プリンス・エドワード島のホームスティは、楽しく忙しく過ぎていったのでした。   






プリンス・エドワード島 ③モンゴメリの足跡

2015.08.15 (Sat)
タイトル

「赤毛のアン」の著者・モンゴメリ(Lucy Moud Montgomery)の世界へ。
舞台となった・キャベンディシュの小さなホテルに泊って、モンゴメリの足跡を訪ね歩いた。
ノンフィクションである。

生 家

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モンゴメリは、1874年11月30日、プリンス・エドワード島東部のクリフトン(現在のニューロンドン)で生まれた。

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親子のベット。
1歳9カ月で母が病死するまで、この家に住んでいた。
母の死後、父はカナダ西部へ移住し、再婚した。
モンゴメリは、キャベンディシュで農場を営む母方の祖父母に育てられた。
幼少期から両親と離れて親戚の中で暮らした体験が、小説に大きな影響を与えていると思う。

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ウエディングドレスのレプリカ

グリーン・ケイブルス博物館

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モンゴメリの叔母さんの家で、よくここを訪れて、いとこたちと楽しく過ごした。

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1911年36歳の時、牧師の ユーアン・マクドナルドと結婚し、この1階の客間で式を挙げた。

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モンゴメリが作曲に使ったオルガン

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ベットの上には、当時の女性用下着が置かれている。
これらがモンゴメリのものであったかどうかは、私はわからない。


ホ テ ル   Country Inn & Cottages

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アンの家から近くて、可愛らしいホテルに泊った。
内装がいかにも「赤毛のアン」ムードで、「乙女チック」。
親切なスタッフとフレンドリーな宿泊客と、快適な3日間を過ごした。

2か所の観光を終えて、ちょっと休憩のつもりでホテルに戻ったが、
アメリカからマイカーで来ていたSさんご夫妻と話し込んで、それが楽しくて、この日の観光はおしまい。

翌朝目が覚めると、この日も晴天。太陽は高く上がっていた。
緯度が高いので日の出が早い。

お 墓 参 り

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1942年4月24日、モンゴメリはトロントで亡くなった。67歳だった。
遺言により、キャベンディッシュの共同墓地に埋葬されている。

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モンゴメリのお墓    夫・ユーアン マクドナルドと共に眠っている。

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左・お母さんのお墓   右・祖父母のお墓
上方右奥 花の見えるところが、モンゴメリのお墓

モンゴメリは、乳児期に両親と離れて、何度も住まいを変えなければならなかった。
当時女性の立場は弱く、教育も軽んじられていた。
決して恵まれた境遇ではなかったが、いつも夢や希望を持って健気にも努力を重ねた。

そのモンゴメリから、「赤毛のアン」が生まれて、世界中の多くの人々を魅了し、
ずっと愛され続けるたくさんの小説が書かれたのだとつくづく思った。

仕事を精力的にこなし、結婚して3人の息子を生んだ(一人は死産)。
その中でも、次々と小説を書き続けた。

墓地に長時間いた。どういうわけか他にだれも来なかった。
風の音だけがする芝生に座っていると、そこには「アン」と「モンゴメリ」と「私」がいて、
小説と現実、過去と現在、夢とうつつ・・・が交錯して、暫し「無の境地に至る」 不思議な体験をした。












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