グエル公園 Park Guell

2014.03.28 (Fri)
グエル公園 Park Guell 世界遺産
ガウディのパトロンであった、施主のグエル伯爵と、ガウディの夢が作り上げた分譲住宅街で、
1900年から1914年の間に建造された。
グエルは高台に60戸の宅地を造成しようとして、建築をガウディに依頼した。
公共の施設をガウディが作り売り出したが、買ったのはグエルとガウディとあと1戸だけで、
この計画は失敗に終わった。

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正面階段

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階段の途中にある、トカゲの噴水 この公園のシンボル
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動物が主題らしい。タイルを割ったもので描いている

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中央広場 共用広場
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縁取っているのは、110mもつながっているベンチ
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人体にぴったり合うように設計され、陶器やビンの廃材をつかっている

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先端に立つと、眼下に正面入り口、左に見える守衛小屋と、右は管理小屋  後景は地中海

高低差のある敷地は、石の高架橋でつながり、何本もの石柱で支えられている
車が通ることを考えて広く造ったそうだ
整地によって出た土を使っている
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元気回復記念に、ちょっとお転婆をやった

グエルとガウディと弟子のジュジョールが、精魂こめて造成しようとしたのに、
売れなかったのは、「交通の便が悪い」というためだったそうな。
現在もバス停から、上り坂をかなり歩く

お陰で今や「世界遺産」 誰でも見学できる(有料)







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ガウディの遺作建築とモデルニスモ建築

2014.03.25 (Tue)
ガウディの遺作 Gaudi

ガウディは資産家から邸宅の建築を依頼されて、多くの建築物を残している。
広大な土地に集合住宅群を建てたり、公共施設を手掛けたりもした。
現在もその多くが実在し、新しいバルセロナで異彩を放ちながらも融合しているのを
目の当たりにして、圧倒され感動した。

カサ・バトリョ Casa Batllo 世界遺産
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繊維業界王の、パトリョ家の邸宅 1877年築の建物の増改築をした
建物のテーマは「海」、全体のデザインはもとより、家具の細部にまで凝っている
壁面も屋根も、ガウディの主張がいっぱい
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カサ.ミラ Casa Mila 世界遺産
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実業家・ミラの依頼で、1912年築。
施主が一部に住み、他の部分を高級アパートとして貸し出していた
現在も7居住区に、人が住んでいるいる。
通常は一部見学可能部があるが、現在は補修中で見学できなかった
工事用幕も芸術的

モデルニスモ建築
アールヌーヴォーとして、19世紀末に花開いた芸術様式を、スペインでは、モデルニスモ(アルテ・ホベン)という
その動きはバルセロナを中心に広まり、絵画では、ピカソ、ダリ、ミロなどが活躍した。
建築では、ガウディ、ムンタネー、カダファルクなどがこの運動の担い手となって、多くの作品を残している

サン・パウ病院 Hospital de Sant Pau 世界遺産
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銀行家、パウの遺言により、リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーが、建てた
彼は、ガウディの先生で、政治家でもあった
48棟もの建物があり、地下で全てがつながっている。
2009年まで診療が行われていた

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「芸術には人を癒す力がある」という信念のもとに、いたるところに装飾が施されている

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現在は修復中で、見学者が長蛇の列をなしていた

カタルーニャ音楽堂 世界遺産 Palau de La musica Catalana
1908年、オルフェ・カタラン合唱協会の本拠地として、モンタネール(Lluis domenech i Montaneer)築
目に見える全てに豪華絢爛な装飾が施されていて、言葉を失うような美しさ。
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正面入り口 彫刻がたくさんあって美術館のような感じ

音楽堂内見学ツアーに参加した
ほんとうは、クラシックを聴きたかったのだが、好みのプログラムがなかった
それで案内ツアーに参加して、堂内を見学した。
キャパ 2148     席に差をつけず全席平等、ロイヤルボックスもない
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2階客席からの舞台と天井  タイル画とステンドグラスと彫刻
舞台では、ジャズの舞台稽古中 

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天井のステンドグラスのシャンデリア(借用写真)

私の持って行ったカメラではこうは撮れない
息つくのも忘れるような美しさだった

バルセロナにつくまで、サクラダ・ファミリアだけ見ればいいと思っていたが、
ガウディの強打を受けて、こんなにいろいろな所へ行った。
もうひとつ、グエル公園にも行ったが、それは次号で。



サクラダ・ファミリア Sagrada famillia

2014.03.23 (Sun)
バルセロナ サクラダ・ファミリア聖堂  Basilica de La Sagrada Familia 世界遺産

バルセロナの第一歩は、シンボル 「サクラダ・ファミリア」から。
着工は1882年。
翌年ガウディは、世界でも類をみない「完璧な教会」の建設を目指したが、
信者からの寄進でまかなう「贖罪の教会」であったため、工事は遅々として進まなかった。
1926年、ガウディが73歳で亡くなった後も、建設は続けられ、
ガウディ没後100年である、2026年の完成を目指している。

多数の尖塔は遠くからでも目立つし、観光客が大きな流れになって、
吸い込まれるように教会へと向かう。
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建物全体の、柱、壁、床、扉どこにも「ガウディ」が満載で、
どう受け止めたらいいのか、しばし冷静になれない。

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キリスト生誕のファサード 

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生命の木、マリアに抱かれるキリストとヨセフ、天使の合唱隊、東方三博士など、
聖書に登場する光景が表されている。

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教会内部に入ると、これまたガウディ一色。
美しいと思ってみる間もないほど刺激が強いのと、溢れんばかりの見学者の多さに落ち着けなかった。

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裏手にあった小さな建物。
これ、当時からの学校。工事人や、貧しい家の子供たちを教育していた。
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現在は、ここを訪れる学生たちの教室として使われている。

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地下の工房。
新築も修復も、職人さんの手とパソコンの力とを合わせて、延々と続いている。

私は、建築、美術、工芸、宗教などに興味や関心が薄く、初めはただ疲れを感じるだけだった。
病後であったので、カメラはコンパクトのみで、どうせろくな写真は撮れないし、
どこがどうなっているか解らないようなもの見てもしょうがない、早く帰ろうと思った。
だが、建物の後ろへ出て、学校の中を通り、地下へ降りた時、ガウディが生涯を通して成そうと思っていたこと、
その死後も多くの人が、命を賭けて伝えたいことの一部が、ど~んと目の前に降りてきたような、
なんともいえない感覚にさらされた。

こうして、バルセロナの旅は、強い刺激で幕を開けた。


追記      建築、維持、修復費用のこと


サクラダ・ファミリアは、建築当初から現在も未来も、完成まで全て浄財で賄われている。
信者の寄付、入場料(15.8ユーロ)、パトロン(グエル他)、支援団体からの寄付、
その他労働奉仕、ボランティアなどが支えている。

アントニ ガウディは、バルセロナで建築学を学び、パリ万国博をはじめ、諸展覧会に
出展したりした。
バルセロナ市内に、現在でも異色を放つ多くの建築物を建てた。
31歳の時、サクラダ・ファミリアの建築責任者に就任してからは、それに専念し聖堂内に
住んでいた。
自ら寄付集めにも奔走した。
73歳のとき、市電に轢かれて病院に搬送されたが、あまりに貧しい服装の老人で、
ガウディと気づかれるのが遅れた。3日後に亡くなったということだ。
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